今朝の黙想

トップページにて毎朝更新している「今朝の黙想」を今まで消していたのだが、ちょっとここに書き溜めてみようと思った。
昨日のものから、ここに足していこう。

11月18日(木)

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(1コリ12:27)
集団の中にいるとそれぞれ役割があるとなんとなく分かります。でもイエス様を信じる人達は役割があるだけではありません。身体の各器官が全部つながっているように、それぞれの働きをしながら、兄弟姉妹として結ばれているのです。その結び目は「愛」です。お互い関心を示し合いましょう。誰一人として不必要な人はいないからです。


その結び目は「愛」です・・・
本当にその通りだ。こればかりは、「愛しているフリ」とか「感情で愛している」とか「自分のキャパは広いという思い込み」とかでは、とたんに崩れ、結び目となることは出来ない。所謂、「ヒューマニズム」では無理だ。
「聖霊による愛」自分の自我が砕かれて(神様から通される試練や困難によって)いかに聖霊が働きやすい器であるかが鍵なのだと思う。
昨日の日記に記した「2年間の激しい訓練」とは、教会内での人間関係であった。教会といえども、原罪をもった人間の集まりである。だから、様々な問題は起こる。問題が起こらなくなることを願っても、きっとそれはありえない。如何にして、この問題を乗り越えていくかである。
このことを視点を変えて見た時、教会が祝福され、命があるからこそ、サタンが躍起になって攻撃してくるのである。
私たちが戦うべき敵は人間ではなく、サタンの軍勢であることに、益々目が開かれ、主にあって、その大能の力によって強められていきたいと切に願うものである


11月19日(金)
「おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ。」(箴言25:11)
言葉には温度と鮮度があるようです。さりげなく語る言葉が人を励まし、和ませる。まさに、これは適温、湿度があるということでしょう。次に鮮度。「有難う」「ごめんなさい」なども、タイミング、即ち、鮮度が効力を発するものです。言葉の温度と鮮度に巧みでありたいものですね。祝福を祈ります!


昨日の妹とのやり取りの件にしても、言葉の失敗は日常においてつきものだ。「おりにかなって語る言葉」これなんだろうなぁ・・・と思う。
聖書に、「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたの言葉が、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」コロサイ4:5~6 とある。
昨日のことを例にあげると、妹は現在、パートに行っている職場がサービス業なため、月に何度か日曜日に出勤しなければならない。礼拝を守りたいが仕事がある。このジレンマの中で妹は悩んでいた。クリスチャンが洗礼を受けてから、信仰者として成長していく過程で、必ずぶち当たる問題だ。
妹は、牧師にも相談済みで、もうこの件に関して結論が出ているのだが(辞めて、次のパート先を祈りつつ探す)会社の人間関係のなかで、そこを円滑にしたいという思いが先にきて、なかなか踏み出せないでいる。
踏み出せないでいる彼女に対して、私の言葉は塩味がききすぎたようで(笑)
彼女をへこませてしまった。すぐに謝った(笑)
妹と私の間には、信頼と愛が根底にあるので、たわいない話ではあるのだが、今朝の黙想の良い例題であったので、記した(笑)
見たところにおいては、行き違いを生じさせてしまったように見えても、案外、「おりにかなって語った言葉」だったのかもしれない。そう信じたい。
私は不完全で失敗だらけである。しかし、完全なる主に祈ることができる。
主よ、どうか昨日のやり取りを益に変えてくださって、妹にとって最善の道を開いてくださいますように。
今日、私が唇によって失敗することがないように助けてください。


11月20日(土)

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。(ロマ5:3)
中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が3年以内に離職すると言われていて、新入社員の「七五三」と呼ばれているそうです。人生に必要な「我慢」は、決して無駄ではありません。与えられた仕事を通して、自分が本当にやりたいことが見えてくることもありますし、そこで身につけたことを生かし、更に向上することも出来ます。


この御言葉は、私の今までをずっと支え続けてくれた。
新改訳聖書では、「練達」というところを「練られた品性」と訳している。
人間は患難のなかで忍耐することでしか、試練を通ることでしか、「練られた品性」を身に着けることはできない。
今の自分は、今までの全てが無駄なくあって、今に至っている。
そしてこれからも、無駄なことは一つも起こらない。
「どうして、このような事が・・・」と、また試練を通されることでろう。
しかし、それは、聖書で約束されている「栄光から栄光へと私をつくり変えてくださる恵み」でしかないのだ。
さぁ、もう、お昼になるじゃんか(笑)
朝の黙想でなくお昼の黙想じゃんね(笑)
頭痛がつらくて、土曜日だしと思って寝坊しました。
さぁ、頭いたいけど、辛いけど、行こう!!
どうか頭痛薬が効きますように・・・
どうか頭痛が取り去られて、ハツラツと元気に午後のスケジュールを成すことができますように


11月22日(月)

「今の時を生かして用いなさい。」(エペソ5:16)
すべての人が幸せになることができます。そうなれないのは、二つの罠にはまるからです。「誰かにやってもらおう」と「いつかやろう」という罠。この二つの罠が右と左にあなたを待ちかまえます。ですから、「私がやらないで誰がやるのか、今やらないでいつやるのか」という心構えこそ、幸せの、そして確かな未来への鍵です。心していきたいですね。


(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
納得!
私自身、先延ばしにしていることや、人任せにしている事はないだろうか・・・
人間、そうそう完璧にできるわけがない。そこで、日々の優先順位ということが重要になってくるわけだ・・・
私が自分のなかで基準をおいている優先順位は、
1、神様
2、家庭
3、教会
4、仕事
おそらく、世の価値観とはだいぶ違うだろう。
また、男性と女性とでも違ってくるところかもしれない。
いや、個人個人違うだろう。
私の場合、自分の中でいつも戦うのが、2番と3番の日々の入れ替わりだ(笑)
しかし、神様に委ねることができたなら、「今、この瞬間、こちらを優先したら、あちらのことが心配でなりません」という時、あちらの心配を神様に祈り、神様にお任せしてしまう。これは特権である。
この特権故に、平安である(笑)
さてはて、私が先延ばしにしていること、あったあった(笑)
庭の小屋の整理と、クローゼットの整理である(笑)
これは、優先順位の尻であるので、まぁ、いいことにしよう(爆)
主よ、今日も一日、家族みんなと共にあってください。
あ!ここで重要な先延ばし事項を思い出した!!(笑)
これは、今日、絶対に取り掛からなければならない。
思い出すことができてよかったぁ・・・(涙)
ゴスペルの伴奏の音を耳コピしなきゃだった・・・
こればかりは、心に余裕がないと出来ず、延ばし延ばしにしていたんだった・・・。
ババァになるにつれ、耳で音探すのが、しんどい・・・(笑)
しかし、今日、午後からこれに取り掛かることにしよう!
hallelujah!主よ上からの力で満たしてください!



11月23日(火)

「少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(1サム2:26)

子供をやる気にさせる親の態度は「注目」「賞賛」「ほほえみ」の三つです。「注目」つい忙しさにかまけて忘れがちになりますが、その結果はてきめんに現れます。「賞賛」それは人間としてどんなに素晴らしいかを言葉と態度をもって伝えることです。「ほほえみ」何にも勝ってぬくもりとエネルギーを相手の内から泉のように湧き出していく力になります。


母親として、心に響いた。
母にとって、子供が霊も肉体も健康に、「主にも、人にも愛される」人間へと成長して欲しいという願いは、命をかけた願いである。
賛美歌の何番だったかな・・・「母は涙乾く間もなく祈としらずや~♪」という曲があったが、この曲を歌うたびに、「私も子供のことを祈らずにはいられないわぁ~、(¨)(..)(¨)(..)ウンウン」という思いと、「私の母もこのように願いながら私を育んでくれたのだろうな~」という感謝の思いとが湧き上がってくる。
ここの例想にあるように、注目や賞賛やほほえみを、子供にかけることが出来ないでいた日々を思うと胸がつぶれそうになる。
しかし、失敗は失敗で終わることなく、様々な子供が持ってきてくれた問題を通して、多くのことを学んだ。自分自身が神様を信じていなかったら、きっと、失敗のなかで今ももがき苦しんでいたであろう。
すべての事をあい働かせて益とされる、この主の恵みにしがみついて、これからも歩いていこうと思う。
最近、強く思うことは、「あの時、主を信じることができて本当によかった」ということだ。その先には、祝福と恵みが、約束通り待っていてくれた。これは、困難が目の前から無くなることとは違う。一番の恵みは、自己変革にあったのだと思う。
hallelujah!!
主をほめたたえます!!



11月24日(水)

「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(マルコ9:35)
「人の後」とか「人に仕える」というと、損な生き方のように感じるかもしれません。でも本当は「人を立てあげること、支えていくこと」を優先する人が偉い人なのです。そのような人が神様にもっとも愛され、祝福を頂きます。イエス様が模範です。仕える者に変えて頂きましょう。

(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
大納得。
真のリーダーシップの秘訣だと思う。
私が、夫を一番尊敬しているところが、このところである。
会社でも教会でも、黙々と仕え、トップをたて上げ支えている。

ここの箇所は、私にとってのテーマでもある。
私のHN(Mary)は、マルタとマリアのところから取ったのだ。
何故かというと、私は長女に生まれ、どこへ行っても姉さん気質が出てしまう(笑) これは、賜物であるし、よい事なのだが、たま~に(笑) マルタのように文句を言ってしまうのである。イエス様にマルタは訴えた。「妹のマリアは何もしないでイエス様に寄り添って、少しは手伝うように言ってやってくださいよー」って。その時イエス様は姉のマルタにこう言うのだ。「マルタマルタ、あなたは色々なことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリアはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41~42)
私は始めてここを読んだとき、ムカツいた(笑)マルタが気の毒に思えた。
しかし、ここの深い意味は、後になってわかってきた。
表に見えることではなく、マルタの心の状態に対してイエス様が発した言葉だったのだと思う。
自分への戒めをこめて、脱マルタのため(笑) マリア(Mary)のHNにした(笑)

仕える者になりたいと思う。



11月25日(木)

「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」(箴言29:18)
大聖堂建設現場で3人の職人に尋ねました。「あなたは何をしているのですか?」・・・最初の職人は浮かぬ顔で「私は石を切っています」と、次の職人も同じ表情で「石を運んでいます」と、最後の人は輝いた顔で「人々の心を癒す立派な大聖堂を建てているのです」と答えたのです。3人の「使命感・心構え」に違いがあったのです。


アーメン!
昨日、掲示板に立ち寄ってくださった牧師先生がおっしゃっていたことも、これが秘訣だと思う。
自分の人生が輝くものになるためには、いかにして、自分の与えられた使命がなんであるかを見出すことが出来るか・・・にかかっていると思う。
私が自分の使命として見出したことは、あの大病からの奇跡的な生還をとおして、「生きて働かれる主を証し、それを人々に伝える」ということである。このように文字にすると、たいそうな大きなことのように見えるが、それは違う。私の生活している日常の中で、それを伝えていくことが、私に召されていることだと認識している。楽天で作成したこのHPも日常の中の一環である。この伝えるという内容(色々な角度から各々が見ている側面)と方法が、それぞれの使命に従って、それぞれ違う。私の場合はこうであるということなのだ。
私は、神様に出会ってから人生が大きく変わった。
そして、自分の内側が変えられ、病も癒され、家族が救われ、このことをお伝えした人がそれを受け取り、また生ける主を体験し、祝福されていったということを、これからも自分の足元において証していきたいと思う。
祝福とは、ご利益とは違う。
これもお伝えしていきます(笑)

と、ここで立ち止まった(笑)
まぁ、黙想として、自分の使命は何であったかを思い出し、確認した作業だったのだが、心に色々思い煩いがあるため(笑)頭にある人物を思い浮かべながらこの黙想をしていた自分に今気がついた。
このように、私は、あなたのことで心を痛め、そして祈っています。主が働いてくださいますように・・・。



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